ご無沙汰しています。 4月から環境が大きく変わりまして、 北陸の富山から神奈川に引っ越し、 (主に仕事は東京で) 仕事もコピーライターになり、 文章作成をメインにすることになりました。 この機会に、今まで頭の中だけで考えていたことを、 アウトプッ…
―――――――――――――――――――――――――――――――――― ■「死」の問題が、哲学の動機 最近、若くして亡くなった女優のニュースが 巷を駆け巡っている。 その知らせに触発され、ここで取り上げている問題の 核心部分を、先取りの形で書き残しておこうと思う。 誰にとっても、自…
■現象学の意義 ~「自由」という不自由からの脱却を目指して~ 前回、「私」という人間の「存在」を理解する道として、 ハイデガーが採用したのが「現象学」であると言った。 この現象学について、もう一つ、補足しておきたい。 「人間は、自由の刑に処せら…
■「現象学」とは?存在を探求し、解明する道 前回(1回目)の最後に、「展望」として、 「私」という存在を、「時間」から解明しようとした試みが 『存在と時間』として書き残された、と書いた。 この 【「時間」から「存在」を理解する】 とはどういうこと…
■ハイデガー哲学の出発点「存在者は多様に語られる」 1907年、17歳のハイデガー少年は、 ある論文の一節に 「電光」のごとき衝撃を受けた。 それは、後にハイデガーの師となるフッサールが、 哲学の指導を受けた フランツ・ブレンターノの論文であった…
―――――――――――――――――――――――――――――――――― ■存在への問い 「人間とは何ぞや」 まず、このブログで扱う問題について、触れておきたい。 中心になるのは、ハイデガー『存在と時間』である。 人間とは何ぞや。 私は、なぜ存在しているのか。 この世界に、私が「いる…