ハイデガーの思惟の道 ~『存在と時間』に至る道、そこからの道

ハイデガーの思想を、『存在と時間』を中心に、読み解く試みです。『存在と時間』という著作に至るまでのハイデガーの思索の過程と、そこからの発展をひとつの「道」としてとらえ、その意義について考えてみたいと思っています。

2015-07-01から1ヶ月間の記事一覧

第2回目  存在を知るための方法「現象学」

■「現象学」とは?存在を探求し、解明する道 前回(1回目)の最後に、「展望」として、 「私」という存在を、「時間」から解明しようとした試みが 『存在と時間』として書き残された、と書いた。 この 【「時間」から「存在」を理解する】 とはどういうこと…

第1回目  存在への問いかけ「存在者は多様に語られる」

■ハイデガー哲学の出発点「存在者は多様に語られる」 1907年、17歳のハイデガー少年は、 ある論文の一節に 「電光」のごとき衝撃を受けた。 それは、後にハイデガーの師となるフッサールが、 哲学の指導を受けた フランツ・ブレンターノの論文であった…

第0回目  問題提起「人間とは、存在とは」

―――――――――――――――――――――――――――――――――― ■存在への問い 「人間とは何ぞや」 まず、このブログで扱う問題について、触れておきたい。 中心になるのは、ハイデガー『存在と時間』である。 人間とは何ぞや。 私は、なぜ存在しているのか。 この世界に、私が「いる…